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弁護士 小田 康夫
2021.09.08
2021.09.08
「北根室ランチウェイ」に関する電子書籍出版!
中標津青年会議所の事業として、今年10月頃を目途に、書籍出版をしようという計画しています。「若者、特に中標津町に住む高校生」に向けた本をつくっています。書籍出版が「お金もかかるし、大変だ」ったのは、今や過去の話。電子書籍の発行は、基本的に、誰でも、手軽に、かつ、文字数にかかわらず無料で、出版ができます。アマゾンのキンドルでとりあえず出版しちゃおうと考えています。
↓↓↓
https://kdp.amazon.co.jp/ja_JP/
現在、内容としては、ほぼ完成しており、校正を進めているところです。最終的には中標津町の街おこしのヒントになれば、編集者=私としては最高です。
書籍のほんの一部ですが、書籍の内容を以下で載せています。ご覧いただき、皆さんからコメント・意見等をもらえると嬉しいです。「まえがき」は私が書籍発行をしようと考えた経緯などです。
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まえがき
「中標津町の中高生に、この街の魅力を知ってもらいたい」
「自然を生かした地方の街づくりを発信したい」
「地方の街でも、工夫次第で、面白いことができる」
この本で伝えたいことは以上の3つです。特に、将来どうしたらよいか迷っている、この街の高校生に、この本のメッセージが(ほんの1文でも)刺さればいいなと思います。
ところで、中標津町の人を取り上げた対談本をつくりたい、と考えたきっかけがありました。中標津町の「町民アンケート(中高生向け)」の内容に衝撃を受けたからです。このアンケートには「中標津町に今後も住み続けたいと思うか?」という質問があり、半数が、「住み続けたい」と回答する一方、「住み続けたくない」という回答も、およそ半数(!)に上っていました。
「住み続けたくない街」と言われると実際に住んでいる側からすれば、「言い過ぎでは?」「アンケートのやり方に問題があったのでは?」「中学生や高校生の理解が足りない」などと考えてしまいがちです。しかし、将来、この街を担う若者の半数が街に魅力をあまり感じていないという事実を冷静に分析してみる必要があります。というのも、客観的にどんなに魅力的な街であったとしても、若者に魅力が伝わらない街は、若者がどんどん街から出て行ってしまう可能性が高いからです。若者の半数がいなくなってしまう街に希望はあるでしょうか。
偶然と言いますか、私も、この中標津町で生まれました。中標津町にある計根別(けねべつ)小学校、計根別中学校、中標津高校を卒業した後、札幌などで生活をした後、数年ほど前に、この街に戻ってきました。
思い出してみると、私自身、中学生や高校生のときに、「この街から出たい」と考えていた記憶があります。当時、自分の地元である中標津町の魅力をほとんど知りませんでした。「自然しかない」「この街には何にもない」「東京や札幌で暮らしたい」と考えていました。
しかし、この街に戻ってきて暮らしてみると、都会では普段見ることが出来ない山の稜線が遠くにそびえて、大自然の雄大さを普段から感じることができますし、街の機能もそこまで不足はなく、都会の満員電車や狭苦しい生活とは段違いの「豊かな」暮らしがココにはありました。とりわけ、コロナ禍で、人口過密地帯がリスクとなる時代、田舎暮らしは、都会暮らしよりも、贅沢な暮らしの選択肢の一つになったように思います。ちょっと街を離れれば、大自然に囲まれ、人が誰もいない世界は、人間が人間らしく生活する上で必要な環境ともいえるかもしれません。
こんなにも「豊かな暮らしがある」にも関わらず、地元の若者には、その魅力が伝わっていない。それは端的に、この魅力を、発信していないことが大きいように思います。そこで「本を書こう」と思いついたわけです。
時を遡ること2020年10月。あるニュースを見ました。全国的に有名な中標津町にあるロングトレイル、「北根室ランチウェイ」(略称:KIRAWAY=キラウェイ)が同月をもって、閉鎖となるというニュースでした。この時は、そうか残念、という感想だけで、スルーしていたのですが、あとあと調べてみると、このようなロングトレイルは世界各地に存在し、歴史は古く、「歩く文化」というのは、巡礼に向かう、ある種の宗教的なものであることがわかりました。また、長い距離を歩くことは、排気ガスを出さず、環境への負荷が少ないエコロジーな運動であり、心身ともに健康を整えることができます。「持続可能な社会をつくろう」と今、世界中で取り組みが始まっているSDGsにも合致する哲学があります。
そこで、KIRAWAY事業を創業した方にスポットを当てた本ができないかと考え、どんな人か調べてみると、中標津町在住の酪農家の方(「佐伯さん」)でした。早速アポイントを取ってみると、偶然にも私の父と同い年で、私の父のゴルフ友達。不思議な縁も感じながら、じっくり話を聞きたいと伝え、色々な話を聞いてみたのが本書です。
KIRAWAY事業を10年以上、継続した佐伯さん。
苦労や失敗も多かったと聞きました。
時には、そんな経験が若者にも勇気を与えると感じます。
「失敗してもいい」
「挑戦が大事」
「面白いことを自分もやってみよう」
地方の街と地方の街をつなぐロングトレイルという事業そのものは、世界的には有名な取り組みであっても、地方の街で、それも数人の仲間だけでやってみよう、と思い立ち、70㎞以上の道を構築し、維持管理を長年継続したのは、佐伯さんくらいではないかと思います。ありそうでなかったクリエイティブな発想で、少人数でも、できる取り組みを継続的に実践してきた人がこの街にいる。ロングインタビューをしたら、中標津町の魅力や可能性がなにか見えてくるのではないか。
やや違った観点から言えば、ビジネスの世界では、人口減少という“脅威”や社会的なインフラの未整備、「財源がない」などの“弱み”と、どう向き合うかが問われます。しかし、脅威も弱みも、自然の多いわが街の優位性の一翼だと考えることが出来るのではないか。
「ちょっと不便なところが良い」
「何にもないがある」
不便なところを生かす逆転の発想。その意味で、佐伯さんが創り上げたKIRAWAYというロングトレイルは、「開発されていないことを楽しむ」というか、「なにもないことを生かす」という画期的なアイディアで、街づくりのヒントにあふれているように思います。
(以上「まえがき」2207文字)
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以下、本文には、佐伯さんが作った「北根室ランチウェイ」の創設から閉鎖まで、そしてアフターコロナ時代に見据えた新しい事業などについて中標津の歴史などを触れています。字数としては、5万5000字、薄い新書程度になりました。本文は終始、私が聞き役、佐伯さんが話す役でした。
最後「あとがき」の部分は、逆に私が佐伯さんから質問を受けたものを記載しています。
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あとがきにかえて(逆質問)
(佐伯)なぜこの企画をやろうと考えたの。久しぶりに将来のことや町の未来を考える若者に出会ったような気がするけれど小田君はどうして僕に興味を持ったのか聞きたい。
(小田)「言葉は悪いですが、中標津って、否定的な意味で、よく『なんにもない』と言われていて、私もそう思いながら、小中高と中標津で生活してきました。その後、札幌や旭川、埼玉県、釧路の生活を経て、2018年、中標津にもどってみると、いつも変わらないこの雄大な自然、が私の原風景で、その美しさや、自然があふれている世界、そこから導かれる精神的な余裕のようなものが、私の一部を構成していることに気が付きました。そして、そんなことを事務所のコラム(http://www.ak-lawfirm.com/column/1181)にも以前、書いていて、数年たって、今年、青年会議所の委員長(会社の事業部長のようなもの)に就任して、改めて、ランチウェイを調べていくうちに、佐伯さんに行きついたのです。佐伯さんとコラボして何か企画ができないかと思いました。私の職業柄いろいろな分野の方に会いますが、『なんにもないを活かす』『自然と調和する社会を作る』という、まずこんな発想ができる方、思考が自由な方ってあまり出会いませんでした。加えて『自然と調和する』なんてのは、言葉にするのは非常に簡単ですが、それを事業として、現実化してしまう並大抵のチカラでは足りません。その熱量、エネルギーにびっくりしました。」
(佐伯)若者が「こんな大人になりたい」「こんな爺さんになりたい」と思うようなことを実践すると、より良い町になるような気がするけど小田君はどう思う?
(小田)「そうですね。私は、若者の手本となるような中身のある人間かはわかりませんが、『中標津町出身』であっても、つまり、大都市東京から離れている北海道出身の人間でも、かつ、北海道の中心都市札幌から400キロ以上離れている過疎地からでも、『弁護士にはなれるんだ』というメッセージは、届けたい。特に、中標津や弟子屈、別海、根室、羅臼などの道東地方に住んでいる若者に届けたいといつも考えています。」
(小田)「よりよい街にするためには、まずは自分の頭で考えることができる人が多いことが必要条件であると思います。自分の頭で考えるには、やっぱり一番大事なのは、『教育』です。大人は、子どもたちの教育の「環境」を整える責任があります。環境を整えるには、まずは、自分が面白い・楽しい事、そして地域のためになることをやって、人生って、面白いということを身をもって表現すること、それができれば、若者も勝手に自分で考えて、自分の道を切り開いていけるのかなと思います。」
(佐伯)「反実仮想」という言葉知ってる?もしこうなったら次はこう考える、常に次の事態を想定しておくことなんだけど今の首長や議会議員さんには創造力がないような気がするけど、小田君はどう思う?
(小田)「ごめんなさい、今調べました。『プランA』の後に、仮にそれがだめだったときに『プランB』を考えておくことに言い換えることができるでしょうか。コロナの対策でも、医師の書籍で、日本にはいつも『プランBがない』という話が書いてありました。話は飛んでしまいますが、第2次世界大戦で、日本が、アメリカを戦争に巻き込んでしまえば、必ず戦争に負けるという事態は(特に海軍なんかは)わかっていたはずなのに、米国と戦争を始めてしまいました。歴史の本なんかを読むと、当時は、世論、つまり日本国民の大多数が、米国への開戦を支持していたようです。当時も今も変わりませんが、政治家は、当然、大衆迎合的な政策をします。戦争開戦に向けて政治家が意思決定を下すのは民主主義的に見て当然の判断だったという流れになってしまう。政治の世界は、弁護士の世界とは異なり、どうしても、当選のために『人気取り』が必要ですし、選挙で勝てるかは、死活問題ですから、国民の声を無視するわけにはいきません。政治家自身『最善の道は何か?』を考え、明確に『米国との開戦は回避しよう!』と持論を打ち出すことは、当時の世論からすれば、『逃げ腰!』などと糾弾されて、現実的にやりにくかった、という側面があるように思います。」
(小田)「以上を前提にすると(このような時代認識が誤っていたら、ご指摘いただきたいのですが。)、議会議員や首長に何か独自のリーダーシップを期待することは、過剰な要求なのではないか、という気持ちがあります。よく言われることですが、政治家の能力が低いのは国民の能力が低いから、ということで、私も含め、社会や政治に興味を持ち、政治家といわば『一緒になって』プランBを考え、それを発信する、ということが必要なのではないかと思います。SNSは、それを可能にしました。あと必要なのは、市民側が危機感をもてるかですね。『政治家任せ』というのは世界中の国で起こっていることのようですし、結局同じ回答に行き着いてしまいますが、『どうしたら若者に政治に興味をもってもらえるか』、より抽象的には『政治家任せ(=他人事)ではなく、自分事を増やしていくか』、そういう環境をみんなが悩み、考え、構築していく継続的な努力が必要です。そして、やはりそのためには『教育』が重要であると思います。」
(佐伯)中標津の若者が今考える「町の将来を担うこと」ってどういうことでしょうか。短期的なことと長期的なことを分けて考えるべきだと思う。小さな積み重ねの上にしか、成功の道は少ない。種をまかねば芽は出ない。成長して実をとりたい人はたくさんいます。
(小田)「どうしても、人口が少なく、他の市町村とも物理的な距離が遠いですから、手に触れることができる身の周りにある『世界』が狭くなりがちです。狭い世界では、自分の殻に閉じこもりやすく、偏狭な自分の世界を『世界のすべて』だと思ってしまい、『井の中の蛙』になってしまうのではないでしょうか。旅をして世界を見る、中標津町以外に街に居住してみる、留学する、そんな選択肢が身近にあれば、自分の『世界』を広げることがもっともっと簡単にできるようになります。もっと若い人が外に出るにはどうしたらよいか。まずは、最低限のお金は必要だと思います。お金がないと基本的には旅に出ることができませんし、外に出る精神的な余裕も醸成されないと思います。そして、好奇心。好奇心が旺盛な人は、いろんな世界に興味を持ち、勝手に自分で学んで、社会の不合理なことを変えようと考え、実践します。町の将来についても、若者を育てることが第一で、その方法論として、この豊かな大自然を生かさない手はないと思います。こんな豊かな大自然が、こんなに身近にあって、地元のみんながこの地元の価値を大切にしていることを、若者が知ったら、たとえ一度留学したり、ほかの街に住んだりした後でも、また地元に戻ってきてくれるような気がします。」
(佐伯)流行りを追った瞬間にビリだと思いますが、地方の人は流行には敏感だよね。「あそこの店の料理まずいよね!」そこの店言って食べてみたのって聞いたら「みんなそう言っていた」。こんなことがいっぱいのなのです。
(小田)「流行に乗る、というのは、視野が狭いと言い換えられるかもしれません。流行は、いつかなくなるものですから、本当に価値のあるものに目が行きにくいことにつながります。視野が狭いということは、『世界』に閉じこもって、本当の『世界』を知らないにつながります。一般に、流行に乗っていくと、短期的には価値(利益)がありますが、長期的に見て、本当に価値があるものかは、なかなか判断がつきにくいことが多いように思います。長期的に価値があるものかどうかは、やはり、歴史を見る、必要があります。」
(小田)「全然話が変わってしまいますが、私は好きで、よく世界の歴史の書籍を読みますが、ローマ帝国などの例外を除き、どんなに隆盛を誇った王朝でも、やはり100~300年で、打倒され、新たな王朝が誕生していることが多いのです。日本ががらっと変わったのは、1945年で、現在、70年を経ていますが、また何十年後かに、がらっと変わる節目があるように思います。」
(小田)「今、資本主義や民主主義も、大きな節目の時期に立っていると思います。象徴的なのはトランプのSNSの発信ですね。民主主義は多数決の暴力に発展することがあり、資本主義も、労働者よりも、資本家が、断然、優位であることは、トマ・ピケティが『21世紀の資本』の中で明快に指摘しています。」
(小田)「現代の流行(トレンド)というのも、資本主義経済の中で生まれては消えるものですが、長い目で見て、価値が続くかどうか、慎重になる必要があると思います。いままで通りの資本主義や今まで通りの民主主義が危うくなってきた時代で、流行(トレンド)に乗ることはリスキーかもしれません。がらっと変わった世界で、資本主義経済的に『正しい』『利益になる』と考えられてきた事が、いつのまにか『正しくない』『金にならない』ものに転換する可能性があるからです。」
(小田)「そんなことを考えていると、『本当に価値のあることを見つける目』を養うことが必要ではないかと思います。いつも同じ話で恐縮ですが、やはり、『教育』が大切です。その教育の中で、変化に対応できるチカラを身に着けていくこと。変化に対応できるチカラとは何か、それはおそらく『ダイバーシティ=多様性』に近い概念であるように思います。変化に対応できるチカラ(ダイバーシティ=多様性)を身に着けた人って都会でも地方でも、多くないように思います。おそらくこの街に限定したことではないように思いますが、流行に敏感で、移ろいやすい人が、若者の見本となっているか否かは、もっと真剣に考える必要があるかもしれません。」
(小田)「多様性を確保するためには、いろんな世界に触れ、いろんな人に会い、話を聴いたり、本を読んだりして、行動して、失敗を繰り返す中で、『自分の世界だけじゃない』、ということを身をもって知り謙虚になること。謙虚であることは、もって生まれた能力ではなく、後天的に獲得できるものです。ただ、急いで付け加えたいのですが、謙虚であることは『大人の意見を常に聞いて、おとなしくしていること』ではありません。一見、矛盾するようですが、最近の音楽でAdoの『うっせえわ』という曲がありますよね。メンタリティー、言い換えると、気概のようなものとしては、この『うっせえわ』という気持ちはとっても重要です。他人が『良かれと思って』した助言が、本人の足を引っ張ることは往々にしてあります。謙虚でありつつ、自分こそが正しい、自分の夢を潰そうとする外野の声には『うっせえわ』というくらいの気概をもって自分が自分を鼓舞する。子どもから大人に成長するというのは、失敗を繰り返す過程で、『謙虚さ』を獲得しながら、同時に『うっせえわ』という気概を持つ、この双方を上手にミックスしていくプロセスであるのではないかと思います。」
(以上「あとがき」4300字)
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この本がこの街に住む学生に届き、その学生が大きな夢を描き、それを実現する。この地方の街でも、工夫次第で色々なことができます。この本のメッセージ(のほんの1文)が、道東・中標津町に住む学生(のたった1人だけでもいい。)に届き、挑戦を応援する何かの良いきっかけを与えるものになれば、編集者兼共同著者として、とてもうれしく思います。
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https://kdp.amazon.co.jp/ja_JP/
現在、内容としては、ほぼ完成しており、校正を進めているところです。最終的には中標津町の街おこしのヒントになれば、編集者=私としては最高です。
書籍のほんの一部ですが、書籍の内容を以下で載せています。ご覧いただき、皆さんからコメント・意見等をもらえると嬉しいです。「まえがき」は私が書籍発行をしようと考えた経緯などです。
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まえがき
「中標津町の中高生に、この街の魅力を知ってもらいたい」
「自然を生かした地方の街づくりを発信したい」
「地方の街でも、工夫次第で、面白いことができる」
この本で伝えたいことは以上の3つです。特に、将来どうしたらよいか迷っている、この街の高校生に、この本のメッセージが(ほんの1文でも)刺さればいいなと思います。
ところで、中標津町の人を取り上げた対談本をつくりたい、と考えたきっかけがありました。中標津町の「町民アンケート(中高生向け)」の内容に衝撃を受けたからです。このアンケートには「中標津町に今後も住み続けたいと思うか?」という質問があり、半数が、「住み続けたい」と回答する一方、「住み続けたくない」という回答も、およそ半数(!)に上っていました。
「住み続けたくない街」と言われると実際に住んでいる側からすれば、「言い過ぎでは?」「アンケートのやり方に問題があったのでは?」「中学生や高校生の理解が足りない」などと考えてしまいがちです。しかし、将来、この街を担う若者の半数が街に魅力をあまり感じていないという事実を冷静に分析してみる必要があります。というのも、客観的にどんなに魅力的な街であったとしても、若者に魅力が伝わらない街は、若者がどんどん街から出て行ってしまう可能性が高いからです。若者の半数がいなくなってしまう街に希望はあるでしょうか。
偶然と言いますか、私も、この中標津町で生まれました。中標津町にある計根別(けねべつ)小学校、計根別中学校、中標津高校を卒業した後、札幌などで生活をした後、数年ほど前に、この街に戻ってきました。
思い出してみると、私自身、中学生や高校生のときに、「この街から出たい」と考えていた記憶があります。当時、自分の地元である中標津町の魅力をほとんど知りませんでした。「自然しかない」「この街には何にもない」「東京や札幌で暮らしたい」と考えていました。
しかし、この街に戻ってきて暮らしてみると、都会では普段見ることが出来ない山の稜線が遠くにそびえて、大自然の雄大さを普段から感じることができますし、街の機能もそこまで不足はなく、都会の満員電車や狭苦しい生活とは段違いの「豊かな」暮らしがココにはありました。とりわけ、コロナ禍で、人口過密地帯がリスクとなる時代、田舎暮らしは、都会暮らしよりも、贅沢な暮らしの選択肢の一つになったように思います。ちょっと街を離れれば、大自然に囲まれ、人が誰もいない世界は、人間が人間らしく生活する上で必要な環境ともいえるかもしれません。
こんなにも「豊かな暮らしがある」にも関わらず、地元の若者には、その魅力が伝わっていない。それは端的に、この魅力を、発信していないことが大きいように思います。そこで「本を書こう」と思いついたわけです。
時を遡ること2020年10月。あるニュースを見ました。全国的に有名な中標津町にあるロングトレイル、「北根室ランチウェイ」(略称:KIRAWAY=キラウェイ)が同月をもって、閉鎖となるというニュースでした。この時は、そうか残念、という感想だけで、スルーしていたのですが、あとあと調べてみると、このようなロングトレイルは世界各地に存在し、歴史は古く、「歩く文化」というのは、巡礼に向かう、ある種の宗教的なものであることがわかりました。また、長い距離を歩くことは、排気ガスを出さず、環境への負荷が少ないエコロジーな運動であり、心身ともに健康を整えることができます。「持続可能な社会をつくろう」と今、世界中で取り組みが始まっているSDGsにも合致する哲学があります。
そこで、KIRAWAY事業を創業した方にスポットを当てた本ができないかと考え、どんな人か調べてみると、中標津町在住の酪農家の方(「佐伯さん」)でした。早速アポイントを取ってみると、偶然にも私の父と同い年で、私の父のゴルフ友達。不思議な縁も感じながら、じっくり話を聞きたいと伝え、色々な話を聞いてみたのが本書です。
KIRAWAY事業を10年以上、継続した佐伯さん。
苦労や失敗も多かったと聞きました。
時には、そんな経験が若者にも勇気を与えると感じます。
「失敗してもいい」
「挑戦が大事」
「面白いことを自分もやってみよう」
地方の街と地方の街をつなぐロングトレイルという事業そのものは、世界的には有名な取り組みであっても、地方の街で、それも数人の仲間だけでやってみよう、と思い立ち、70㎞以上の道を構築し、維持管理を長年継続したのは、佐伯さんくらいではないかと思います。ありそうでなかったクリエイティブな発想で、少人数でも、できる取り組みを継続的に実践してきた人がこの街にいる。ロングインタビューをしたら、中標津町の魅力や可能性がなにか見えてくるのではないか。
やや違った観点から言えば、ビジネスの世界では、人口減少という“脅威”や社会的なインフラの未整備、「財源がない」などの“弱み”と、どう向き合うかが問われます。しかし、脅威も弱みも、自然の多いわが街の優位性の一翼だと考えることが出来るのではないか。
「ちょっと不便なところが良い」
「何にもないがある」
不便なところを生かす逆転の発想。その意味で、佐伯さんが創り上げたKIRAWAYというロングトレイルは、「開発されていないことを楽しむ」というか、「なにもないことを生かす」という画期的なアイディアで、街づくりのヒントにあふれているように思います。
(以上「まえがき」2207文字)
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以下、本文には、佐伯さんが作った「北根室ランチウェイ」の創設から閉鎖まで、そしてアフターコロナ時代に見据えた新しい事業などについて中標津の歴史などを触れています。字数としては、5万5000字、薄い新書程度になりました。本文は終始、私が聞き役、佐伯さんが話す役でした。
最後「あとがき」の部分は、逆に私が佐伯さんから質問を受けたものを記載しています。
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あとがきにかえて(逆質問)
(佐伯)なぜこの企画をやろうと考えたの。久しぶりに将来のことや町の未来を考える若者に出会ったような気がするけれど小田君はどうして僕に興味を持ったのか聞きたい。
(小田)「言葉は悪いですが、中標津って、否定的な意味で、よく『なんにもない』と言われていて、私もそう思いながら、小中高と中標津で生活してきました。その後、札幌や旭川、埼玉県、釧路の生活を経て、2018年、中標津にもどってみると、いつも変わらないこの雄大な自然、が私の原風景で、その美しさや、自然があふれている世界、そこから導かれる精神的な余裕のようなものが、私の一部を構成していることに気が付きました。そして、そんなことを事務所のコラム(http://www.ak-lawfirm.com/column/1181)にも以前、書いていて、数年たって、今年、青年会議所の委員長(会社の事業部長のようなもの)に就任して、改めて、ランチウェイを調べていくうちに、佐伯さんに行きついたのです。佐伯さんとコラボして何か企画ができないかと思いました。私の職業柄いろいろな分野の方に会いますが、『なんにもないを活かす』『自然と調和する社会を作る』という、まずこんな発想ができる方、思考が自由な方ってあまり出会いませんでした。加えて『自然と調和する』なんてのは、言葉にするのは非常に簡単ですが、それを事業として、現実化してしまう並大抵のチカラでは足りません。その熱量、エネルギーにびっくりしました。」
(佐伯)若者が「こんな大人になりたい」「こんな爺さんになりたい」と思うようなことを実践すると、より良い町になるような気がするけど小田君はどう思う?
(小田)「そうですね。私は、若者の手本となるような中身のある人間かはわかりませんが、『中標津町出身』であっても、つまり、大都市東京から離れている北海道出身の人間でも、かつ、北海道の中心都市札幌から400キロ以上離れている過疎地からでも、『弁護士にはなれるんだ』というメッセージは、届けたい。特に、中標津や弟子屈、別海、根室、羅臼などの道東地方に住んでいる若者に届けたいといつも考えています。」
(小田)「よりよい街にするためには、まずは自分の頭で考えることができる人が多いことが必要条件であると思います。自分の頭で考えるには、やっぱり一番大事なのは、『教育』です。大人は、子どもたちの教育の「環境」を整える責任があります。環境を整えるには、まずは、自分が面白い・楽しい事、そして地域のためになることをやって、人生って、面白いということを身をもって表現すること、それができれば、若者も勝手に自分で考えて、自分の道を切り開いていけるのかなと思います。」
(佐伯)「反実仮想」という言葉知ってる?もしこうなったら次はこう考える、常に次の事態を想定しておくことなんだけど今の首長や議会議員さんには創造力がないような気がするけど、小田君はどう思う?
(小田)「ごめんなさい、今調べました。『プランA』の後に、仮にそれがだめだったときに『プランB』を考えておくことに言い換えることができるでしょうか。コロナの対策でも、医師の書籍で、日本にはいつも『プランBがない』という話が書いてありました。話は飛んでしまいますが、第2次世界大戦で、日本が、アメリカを戦争に巻き込んでしまえば、必ず戦争に負けるという事態は(特に海軍なんかは)わかっていたはずなのに、米国と戦争を始めてしまいました。歴史の本なんかを読むと、当時は、世論、つまり日本国民の大多数が、米国への開戦を支持していたようです。当時も今も変わりませんが、政治家は、当然、大衆迎合的な政策をします。戦争開戦に向けて政治家が意思決定を下すのは民主主義的に見て当然の判断だったという流れになってしまう。政治の世界は、弁護士の世界とは異なり、どうしても、当選のために『人気取り』が必要ですし、選挙で勝てるかは、死活問題ですから、国民の声を無視するわけにはいきません。政治家自身『最善の道は何か?』を考え、明確に『米国との開戦は回避しよう!』と持論を打ち出すことは、当時の世論からすれば、『逃げ腰!』などと糾弾されて、現実的にやりにくかった、という側面があるように思います。」
(小田)「以上を前提にすると(このような時代認識が誤っていたら、ご指摘いただきたいのですが。)、議会議員や首長に何か独自のリーダーシップを期待することは、過剰な要求なのではないか、という気持ちがあります。よく言われることですが、政治家の能力が低いのは国民の能力が低いから、ということで、私も含め、社会や政治に興味を持ち、政治家といわば『一緒になって』プランBを考え、それを発信する、ということが必要なのではないかと思います。SNSは、それを可能にしました。あと必要なのは、市民側が危機感をもてるかですね。『政治家任せ』というのは世界中の国で起こっていることのようですし、結局同じ回答に行き着いてしまいますが、『どうしたら若者に政治に興味をもってもらえるか』、より抽象的には『政治家任せ(=他人事)ではなく、自分事を増やしていくか』、そういう環境をみんなが悩み、考え、構築していく継続的な努力が必要です。そして、やはりそのためには『教育』が重要であると思います。」
(佐伯)中標津の若者が今考える「町の将来を担うこと」ってどういうことでしょうか。短期的なことと長期的なことを分けて考えるべきだと思う。小さな積み重ねの上にしか、成功の道は少ない。種をまかねば芽は出ない。成長して実をとりたい人はたくさんいます。
(小田)「どうしても、人口が少なく、他の市町村とも物理的な距離が遠いですから、手に触れることができる身の周りにある『世界』が狭くなりがちです。狭い世界では、自分の殻に閉じこもりやすく、偏狭な自分の世界を『世界のすべて』だと思ってしまい、『井の中の蛙』になってしまうのではないでしょうか。旅をして世界を見る、中標津町以外に街に居住してみる、留学する、そんな選択肢が身近にあれば、自分の『世界』を広げることがもっともっと簡単にできるようになります。もっと若い人が外に出るにはどうしたらよいか。まずは、最低限のお金は必要だと思います。お金がないと基本的には旅に出ることができませんし、外に出る精神的な余裕も醸成されないと思います。そして、好奇心。好奇心が旺盛な人は、いろんな世界に興味を持ち、勝手に自分で学んで、社会の不合理なことを変えようと考え、実践します。町の将来についても、若者を育てることが第一で、その方法論として、この豊かな大自然を生かさない手はないと思います。こんな豊かな大自然が、こんなに身近にあって、地元のみんながこの地元の価値を大切にしていることを、若者が知ったら、たとえ一度留学したり、ほかの街に住んだりした後でも、また地元に戻ってきてくれるような気がします。」
(佐伯)流行りを追った瞬間にビリだと思いますが、地方の人は流行には敏感だよね。「あそこの店の料理まずいよね!」そこの店言って食べてみたのって聞いたら「みんなそう言っていた」。こんなことがいっぱいのなのです。
(小田)「流行に乗る、というのは、視野が狭いと言い換えられるかもしれません。流行は、いつかなくなるものですから、本当に価値のあるものに目が行きにくいことにつながります。視野が狭いということは、『世界』に閉じこもって、本当の『世界』を知らないにつながります。一般に、流行に乗っていくと、短期的には価値(利益)がありますが、長期的に見て、本当に価値があるものかは、なかなか判断がつきにくいことが多いように思います。長期的に価値があるものかどうかは、やはり、歴史を見る、必要があります。」
(小田)「全然話が変わってしまいますが、私は好きで、よく世界の歴史の書籍を読みますが、ローマ帝国などの例外を除き、どんなに隆盛を誇った王朝でも、やはり100~300年で、打倒され、新たな王朝が誕生していることが多いのです。日本ががらっと変わったのは、1945年で、現在、70年を経ていますが、また何十年後かに、がらっと変わる節目があるように思います。」
(小田)「今、資本主義や民主主義も、大きな節目の時期に立っていると思います。象徴的なのはトランプのSNSの発信ですね。民主主義は多数決の暴力に発展することがあり、資本主義も、労働者よりも、資本家が、断然、優位であることは、トマ・ピケティが『21世紀の資本』の中で明快に指摘しています。」
(小田)「現代の流行(トレンド)というのも、資本主義経済の中で生まれては消えるものですが、長い目で見て、価値が続くかどうか、慎重になる必要があると思います。いままで通りの資本主義や今まで通りの民主主義が危うくなってきた時代で、流行(トレンド)に乗ることはリスキーかもしれません。がらっと変わった世界で、資本主義経済的に『正しい』『利益になる』と考えられてきた事が、いつのまにか『正しくない』『金にならない』ものに転換する可能性があるからです。」
(小田)「そんなことを考えていると、『本当に価値のあることを見つける目』を養うことが必要ではないかと思います。いつも同じ話で恐縮ですが、やはり、『教育』が大切です。その教育の中で、変化に対応できるチカラを身に着けていくこと。変化に対応できるチカラとは何か、それはおそらく『ダイバーシティ=多様性』に近い概念であるように思います。変化に対応できるチカラ(ダイバーシティ=多様性)を身に着けた人って都会でも地方でも、多くないように思います。おそらくこの街に限定したことではないように思いますが、流行に敏感で、移ろいやすい人が、若者の見本となっているか否かは、もっと真剣に考える必要があるかもしれません。」
(小田)「多様性を確保するためには、いろんな世界に触れ、いろんな人に会い、話を聴いたり、本を読んだりして、行動して、失敗を繰り返す中で、『自分の世界だけじゃない』、ということを身をもって知り謙虚になること。謙虚であることは、もって生まれた能力ではなく、後天的に獲得できるものです。ただ、急いで付け加えたいのですが、謙虚であることは『大人の意見を常に聞いて、おとなしくしていること』ではありません。一見、矛盾するようですが、最近の音楽でAdoの『うっせえわ』という曲がありますよね。メンタリティー、言い換えると、気概のようなものとしては、この『うっせえわ』という気持ちはとっても重要です。他人が『良かれと思って』した助言が、本人の足を引っ張ることは往々にしてあります。謙虚でありつつ、自分こそが正しい、自分の夢を潰そうとする外野の声には『うっせえわ』というくらいの気概をもって自分が自分を鼓舞する。子どもから大人に成長するというのは、失敗を繰り返す過程で、『謙虚さ』を獲得しながら、同時に『うっせえわ』という気概を持つ、この双方を上手にミックスしていくプロセスであるのではないかと思います。」
(以上「あとがき」4300字)
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この本がこの街に住む学生に届き、その学生が大きな夢を描き、それを実現する。この地方の街でも、工夫次第で色々なことができます。この本のメッセージ(のほんの1文)が、道東・中標津町に住む学生(のたった1人だけでもいい。)に届き、挑戦を応援する何かの良いきっかけを与えるものになれば、編集者兼共同著者として、とてもうれしく思います。